皆様こんにちは。上海古猗园へお越しいただき誠にありがとうございます。
ここから小道に沿って北へお進みください。まず、古猗园の歴史について簡単にご紹介いたします。古猗园は上海市嘉定(カテイ)区南翔镇(チン)に位置しています。国家4A级の観光名所で、上海五大古典園林の一つでもあります。古猗园は、初め“猗园(イエン)”といわれ、明時代嘉靖(カセイ)年间(西暦1522年—1566年)に、当時、河南省通判(トウハン)の職にあった闵士籍(ミンシセキ)により創建されました。猗园の名は、《詩経(シキョウ)》の“绿竹猗猗(リョクチクイイ)”という竹が美しく盛んに茂る様を形容した句よりつけられました。明時代の嘉定の地の竹細工の名匠、朱三松(シュサンショウ)によって設計され、“十畝(セ)の庭園、五畝(セ)の邸宅”といわれるほどの規模を誇りました。清時代乾隆(ケンリュウ)十一年(西暦1746年),洞庭山(ドウテイザン)出身の叶锦(ヨウキン)が買い取った後、大規模な土木工事による改築が行われました。そして一時代を経て、“古猗园(コイエン)”と名づけられました。乾隆五十三年(西暦1789年)には、この地の名士らが募金により、古猗园を買い取って鎮守の社(ヤシロ)としました。同治から光绪年间にかけて,園内にホール、お堂、庵(イオリ)が増築され、更に、レストランや茶室も開かれ、祀り事や集会、見物に来た人々のための憩いの場となりました。新中国成立後、古猗园は幾度もの改修拡張工事を経ました。更に、2009年には、園区の改造及び、東部拡張工事が行われ、面積は百数畝(セ)に達しました。園全体は、それぞれ異なる景観をもつ4つの区域である、猗园(イエン)、花香仙苑(カコウセンエン)、曲溪鹤影(キョクケイカクエイ)、幽篁烟月(ユウコウエンゲツ)に分けられ、古風な趣きと清楚で洗練された気品が漂っています。園内にある唐時代の经幢(ケイトウ)と呼ばれる経文が刻まれた石柱、宋時代の普同塔(フドウトウ)、南庁(ナンチョウ)、微音阁(ビオンカク)等の文物及び、歴史的遺跡は、いずれも非常に珍しいもので、人々を古(イニシエ)の世界へといざないます。