【日语】不系舟、浮筠阁

ここは三方が水に面した不系舟です。“不系舟”とはその名の通り、どの部分も繋がれておらず、自由自在な舟という意味です。唐時代の诗人、白居易(ハクキョイ)の《适意(カツイ)》の诗の一つにも不系舟が登場します。危険と悪の風波に晒された官職から脱し、魂のよりどころとして静かで穏やかな世界としての船を求める作者の気持ちが表れた詩です。不系舟は、明時代に、元は園主の書斎として建設されました。吴の書家である祝枝山(シュクシサン)による“不系舟”の書は後に壊されたため、清時代の名医、和鸿舫(ワコウホウ)により再び書かれました。舟上には、清時代末期に進士(シンジ)の位にあった廖寿丰(リョウジュホウ)による一対の書が掲げられています。

この舟形建築は、船の前方先端には、とも綱を繋ぎとめる為の一対の杭があり、それらが左右に並んでいます。船体前方は比較的高く、両側に窓がついています。中央部は低くなっていて、両側には吴王靠(ゴオウコウ)とよばれるデッキがあります。後方部は二階建てになっていて、園を見渡すことができるようになっています。

建物全体は人の温もりが感じられるような外観で、船が岸に静かに停泊しているような趣があります。デッキにもたれて池の全景を観賞するのも良し、ふと足元に目をやり、魚の泳ぐ姿を眺めるのも良し、心癒されるひとときが過ごせる事でしょう。

さて、清時代の同治年间に,南翔小笼馒头(ナンショウショウロンポー)の創始者である黄明贤(コウメイケン)が、古猗园の不系舟で商売を始めたところ、皮が薄くて中身が大きく、汁が多くて、味もよいとその名が轟くようになりました。そして後に、西藏路(セイゾウロ)と豫园(ヨエン)にチェーン店が出され、現在では上海名物の点心となったのです。

不系舟から池を南に見渡すと向こうに“浮筠阁(フインカク)”が水面から半分浮いたように見えます。特徴的なのは、明時代に造園された際、屋根、柱、廊下、椅子、欄干、窓に至るまですべて竹で作られたという点です。山のそばに浮かび、遠く彼方に向かい合う不系舟と対になっています。後方には、竹枝山(タケエダヤマ)が水際にそびえ、山に沿って水流が循環している様は、動と静の融合、山と水の関係をよく表しています。池の西の堤に白鹤亭(ハクツルテイ)が見えます。その頂には白い鹤が止まっており、南へ向かって翼を広げています。これは、古代の“白鹤南翔(ハクツルナンショウ)”という伝説からこのあずまやが建てられたことを表しており、南翔という地名の由来にもなっています。

それでは、この不系舟から東へ進み、引き続きご観覧をお楽しみください。

   

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