【日语】逸野堂

この古風で華麗な建築物は、“逸野堂(イツヤドウ)”といい、元は、園のメインホールで、園主が来賓を接待する場所でもありました。“逸野”という名は、静かで安穏とした自由な生活情趣と、高度な思想世界への蟄居を追求したことにちなんでつけられたものです。この建物は初め、明時代に建てられましたが,1937年に戦火により焼失し、1980年に再建されました。柱が楠の木で作られていることから、又の名を"楠木厅(クスノキチョウ)"といいます。又、四方が道路に面し、中から園全体が見渡せるようになっていることから俗に"四面厅(シメンチョウ)"ともいわれています。建物の後ろには、金木犀が植えられ、中秋の名月には、庭中が芳香に包まれます。また、外に掲げられている“逸野堂”の三文字は、著名な書家である唐云による書です。そして堂内の“华岩墨海(カガンボクカイ)”と書かれた額は、明時代の著名な書家である董其昌(トウキショウ)によるもので、当時、文人たちがここに集まり盛んに交流していたことを表したものです。

逸野堂の前にある2本の古木は枝垂れエンジュであり、中国名、盘槐(バンカイ)とも、竜の爪に似ていることから龙爪槐(リュウソウカイ)ともいいます。北側の一本は現在、樹齢約480年余りになります。造園当時、逸野堂の風格と美観を強化する為に,園主である闵士籍(ミンシセキ)により、植えられた一対の枝垂れエンジュうちの一本です。その姿が、龍の爪にも、又、黄盖伞(コウガイサンという皇帝専用車の日よけ傘)にも似ていることから、階級に厳格であった封建社会においては皇帝一家の庭園にのみ植樹が許されていた木であったため、後に皇帝に対する謀反の陰謀として告発されました。それを知った園主は慌てて南側の一本を取り除き、謀反の罪を逃れたということです。こうして、北侧の一本は现在、上海で最も歴史ある枝垂れエンジュとして残されているのです。

さて、皆様ここで足元をご覧ください。この道はただの通路としてでなく芸術的に観賞価値のあるものです。この逸野堂の四方を囲む道は、ひび割れ模様になっています。そして、その上には、碧玉如意(ヘキギョクニョイ)、神の書、淡(アワ)く描かれた八仙人(ハチセンニン)等の図案が施されており、足を踏み入れるとまるで仙人の郷に紛れ込んだようです。

では、これから逸野堂の北侧の五老峰(ゴロウホウ)を抜け、半风亭(ハンフウテイ)から“水木明瑟(スイボクメイビ)”建筑群へとお進みください。

   

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